バプテスト教会の特徴

 歴史的なバプテストの特徴をリストアップすると以下の8項目があると思います。
これは他の教会を批判するためのものではなく、あくまでもバプテスト教会の特徴として記したものです。

 

1.聖書の権威

 最初に、聖書の権威を取り上げましょう。この意味は「聖書のみが信仰と行動とのための唯一の権威である」ということです。この点において他の教会と異なる特徴があります。例えばルーテル(ルターが始めた教派)の牧師は、按手礼のためにアウグスバーグ告白にサインしなければなりません。ウエスレーによって始められてメソジスト教派は「メソジスト規律」を重んじています。また、長老教派はカルビンからの歴史で、ウエストミンスター信仰告白を標準として重んじています。英国の国教会である聖公会は、39ヶ条の信仰条件を権威として重んじています。これらに対して、バプテストは聖書のみに信仰と行動とのための権威を認めています。
 権威の置き方については主に三つの立場が挙げられます。その一つは伝統です。ローマ・カトリック教会では、選択された伝統が聖書と等しい権威として認められています。またもう一つの立場は、一般的に自由主義の立場です。聖書は不充分だと言っています。聖書に理性と経験を加えなければなりません。第三の立場は、聖書が唯一の、信仰と行動とのための権威であるというものです。この立場は聖書自体の主張に近いと思います。聖書は権威ある神のことばです。聖書は人々を救いに導くものです。地方教会の信仰と行動のための基準でもあります。バプテスト教会はすべての教えと生活の行動のために聖書に権威を置き土台にしています。

 

2.地方教会の自治

 地方教会の自治とは、バプテスト教会の特徴です。教会とは簡単に定義すると「公にイエス・キリストを信じている告白のゆえにバプテスマを受けたキリスト者たちの集まりであり、二つの職務(牧師と執事)を持ち、組織において自治であり、そして働き、礼拝、礼典を守り、全世界に福音を宣べ伝えるために組織された集まりである。」と言うことができます。この教会行政組織にも色々な形があります。例えば、ローマ・カトリックは法王制、メソジストと聖公会は監督制であり、長老教会には長老会があります。バプテスト教会の行政は会衆制です。キリスト者一人一人は、神様の前に責任を負わなければなりません。行政の権威は会衆の全体にあります。だから、地方教会は外部からコントロールされないのです。教派の本部から地方教会を左右するということがありません。教会は神様の御言葉の上に聖霊の導きによって全ての問題を解決しなければなりません。この地方教会は教会役員を選び、宣教師たちを遣わし、会員に対する懲らしめの責任と働きを持っています。

 

3.全信徒の祭司職

 これはバプテスト教会の尊い特徴です。キリスト者は誰でも他の人の助けなしに、神を礼拝できるということです。キリストを信じて救われたキリスト者は、神に罪を告白し、イエス・キリストの御名によって祈ることができます。キリスト者は祭司のような働きが出来ます。旧約の時代には大祭司だけがこういう働きをしていました。祭司の働きは絶えず神と人との間に立って執り成すことでした。祭司は神のために人々を教え、人のためにいけにえをささげました。つまり、神と人との仲介者だったのです。
Tペテロ2:1〜10は現代のキリスト者の祭司としての働きを述べています。
神を賛美すること、イエス・キリストの救いを伝えること、祈りによってとりなすことが出来ます。

 

4.二つの礼典(バプテスマと主の晩餐)

 バプテスト教会の礼典は二つです。日本では「洗礼」という言葉がよく用いられていますが、「バプテスマ」とのことばは「洗う」という考えを教えていません。それでバプテスト教会では一般的に「洗礼」という言葉をバプテスマの意味で用いません。バプテスマの意味は「合一」と「従順」です。キリストは私たちのために死に、葬られ、そしてよみがえってくださいました。キリスト者は、この素晴らしい三つの事実を信じて一つになっています。バプテスマはキリストが命じておられるので、キリスト者は証しとしてキリストに対して従順を表わして受けます。聖書の教えている順序は人は信じてからバプテスマを受けるのです。使徒8:12,35〜39,9:17〜18。だからバプテスト教会では幼児洗礼を行ないません。人は救われるためにバプテスマを受けるのでなく、救われてからバプテスマを受けるからです。
 又、その方法はギリシャ語の「バプティゾー」という言葉の通り、「浸す」との意味で理解します。バプテスマの意味はローマ6:3、4に書かれています。それで、滴礼(指先に水をつけて、人の額の上におくこと)をしません。水の中に全身を浸します。
 主の晩餐は第二の礼典として守られています。ローマ・カトリックは化体説をとっています。これは祭司の宣言の時にパンとぶどうの実で作ったものは、実際に、キリストの体と血に変わるという説です。ルーテル教派は聖体共在説をとっています。これは化体説ほど主張しませんが、パンとぶどうの実で作ったものにおいて、それと共に、またそのもとに、キリストの体と血が存在する、そして受ける人が信者であるかどうかにかかわらず、恵みを受けるという説です。バプテスト教会は主の晩餐を記念として行ないます。Tコリント11:25〜26。イエス御自身は「わたしを覚えてこれを行ないなさい」(ルカ22:19)と言われました。パンとぶどうの実で作ったものは象徴にすぎません。イエスは「わたしは門です」や「わたしが道です」と言われた時と同じように象徴的に「これはあなたがたのための、わたしのからだです」また「わたしの血による新しい契約です」と言われたのです。

 

5.個人的精神の自由

 もう一つのバプテストの特徴は、個人精神の自由です。これは人が不法を行うとか、わがままに歩むこととかを認める自由ではありません。「人に従うより、神に従うべきです」使徒5:29という、ペテロの言葉のように、個人的に神に従うことを認めるのです。聖書を読むこと、神を礼拝すること、神に従うことは、決して人に強制されてするものではありません。人は個人的に恵みを受け、霊的な賜物を受け、神に仕えるのです。人は個人の意志によって選択します。人は個人的に報いを受けます。
この原則をバプテスト教会は認めています。

 

6.救われた者たちが教会員となる

 地方教会の教会員は公にキリストを救い主として告白し、聖書の教えに従う意志を表わし、教会の教理と規則とに同意する人々です。決してキリスト者でない人々が教会員になることは出来ません。使徒2:41のように、人々は「ことばを受け入れた」、すなわちイエス・キリストを信じ、その後バプテスマを受け、「弟子に加えられた」のです。この順序に従った人々が教会員となりました。

 

7.二つの職務(牧師と執事)

 バプテスト教会は教会運営の働きをするために牧師と執事がいます。牧師の働きは説教、仕える、祈り、訓練を与えることです。執事は牧師に仕えて、補助をすることです。聖書には牧師の職務のために、牧師、監督、長老の三つの言葉が使われています。この三つとも同じ職務のために用いられています。(Tペテロ5:1〜4、テトス1:5〜7、使徒20:28)。又、牧師も執事も教会の会員によって承認され選ばれます。

 

8.国家(政治)と教会の分離

 この原則はマタイ22:17〜22に教えられています。国家は教会を保護して、キリスト者は政治に従います。しかし、結合しているのではありません。聖書によると神は三つの組織を創立されました。家庭、教会、国家です。この一つ一つはそれぞれの範囲に中にあって使命を持っています。キリスト者は政治に対して責任を果たします。税金を納め、従い、敬い、そして祈ります。これに対して政治は、教会の信仰、良心的自由を保護する責任を持っています。政治はどんな宗教に対しても特別扱い、または制限を加えてはなりません。ただ、道徳、あるいは私財が脅かされている場合にのみ、これは許されるのです。

 

9.あとがき

 この内容は、関西単立バプテスト神学校の副校長であられたレスリー・フレイジャー博士が記された「バプテストの特徴」という小冊子を短くまとめたものです。私の独断で変更した言葉や文章も多くありますので、その点についてはご了承ください。さらに詳しくお知りになりたい方は下記の神学校へ直接注文してください。(芝山芳雄)

関西単立バプテスト神学校
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