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語らない 投稿日:6/28(Sun)6:00
語らない。それがあなたにとっての自戒です。争いを求めてるわけではありません。あなたが自戒の枠を超えてきたことに対する警告です。
No.693[返信]

はぁ 投稿日:6/27(Sat)0:05
あなたは預言者ではなくただの人間です。
No.692[返信]

帰りましょう 投稿日:6/26(Fri)0:17
神も天も御心もなにもないありふれた日常に戻りましょう。シンデレラストーリーのルツも総理大臣ヨセフもそこには存在しません。五つのパンも二匹の魚も人を満たすことはなく死者が蘇ることもない。ただただ理不尽に幸福になる者も不幸になる者もいる世界に。何十億年も同じ理屈で回っているのです。たかだか2000年若きの歴史が太刀打ちなどできません。どれだけ言葉が語られようとも、この世界は変わらなかった。これが事実。ともするならば変わらない世界に帰り苦しみながら生きるしかない。そこで神の枷があるかないかは大きな違いがある。枷がなければ期待することはない。だから絶望することがない。神の枷があれば期待からくる絶望に苛まれることになる。語るのをやめて聞くことをやめて帰りましょう。
No.691[返信]

もう 投稿日:6/26(Fri)0:00
もう辞め時です。何も変わらなかったことに対する責任をとりましょう。神は責任を取らないのですから。
No.690[返信]

漸く 投稿日:6/25(Thu)23:57
奇跡だのみこころだの意味のない言葉を語らなくなりましたね。これで何十年にもわたって語られた遅くともくるとか神はあなたの願いを知っているなどが本当に嘘っぱちだと証明されましたね。神がどう介入しようと強い者が全てを取る。ウリヤは死んでダビデの直系が栄え最後は反逆。ダビデが生き残ったのは神の御心に沿ったからでなく狡賢だったからだけ。主人への誠実さを見ればウリヤの方が遥かに御心にかなってるのに、死んで泣き寝入り。
No.689[返信]

本日の聖句について 投稿日:1/24(Sat)3:18
この文書は、ダビデの罪の結果を語りながら、罪を犯していない子どもの死を「神の最善」として正当化している点で問題があります。
イエスは「罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。裁きが繰り返し繰り返し悔い、泣き叫ぶ者に及ぶことを退けられました。
罪の裁きは罪人自身に向けられるべきであり、他者、まして子どもに負わせて信仰的に受け入れさせる理解は、イエスの示した憐れみの福音と一致しません。当該箇所はダビデへの裁きの結果を示したに過ぎずそれを「あなたはどうだろうか」と一般化する教えには問題があります。悪い出来事に悪いと言う権利が人間にはあります。あなたの称賛するダビデは詩篇で正直に不満を述べていますし、イエスですら十字架上で我が神どうして私をお見捨てになったのですか。と嘆きました。結果がどうであれ「受け入れない」と宣言する権利は認められています。悪しからず。
No.660[返信]

' 投稿日:6/14(Sun)4:32 Mail
test

test 投稿日:6/14(Sun)4:32 Mail
test

あ 投稿日:6/6(Sat)20:54
あの絶対的バビロンを倒し、不滅と言われたローマ帝国も倒された。不可能は一つもない
→残念ながら倒れることを望んだ当事者はその時代とっくに犬死です。バビロンが滅びたとき約束の地に帰ろうとする者がほとんどいなかったのがその証拠です。そしてバビロンだろうとローマだろうと滅亡させたのは神ではなく人間です。世界を動かしているのはあなたが常に否定している肉の想いというやつですよ。残念ながら。
No.676[返信]

shalom☺️ 投稿日:5/23(Sat)0:05 Mail
肉の自分では出来ない。
だからイエスが来た。
ただ、恵みによる。
No.675[返信]
