☆.。.゜*☆.。.:☆
めぐみの
パンくず
☆.。.゜*☆.。.:☆
投稿/PC用
ページ[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]
全58件
本日の聖句について
この文書は、ダビデの罪の結果を語りながら、罪を犯していない子どもの死を「神の最善」として正当化している点で問題があります。
イエスは「罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。裁きが繰り返し繰り返し悔い、泣き叫ぶ者に及ぶことを退けられました。
罪の裁きは罪人自身に向けられるべきであり、他者、まして子どもに負わせて信仰的に受け入れさせる理解は、イエスの示した憐れみの福音と一致しません。当該箇所はダビデへの裁きの結果を示したに過ぎずそれを「あなたはどうだろうか」と一般化する教えには問題があります。悪い出来事に悪いと言う権利が人間にはあります。あなたの称賛するダビデは詩篇で正直に不満を述べていますし、イエスですら十字架上で我が神どうして私をお見捨てになったのですか。と嘆きました。結果がどうであれ「受け入れない」と宣言する権利は認められています。悪しからず。
No.660[返信]
1/24(Sat)3:18
あ
あなたの言う「平安」は、他人の苦しみを救いません。それだけを残しておきます
No.659[返信]
1/22(Thu)19:11
ありがとう
理不尽な出来事は、人の人生を壊す。それ自体に意味や正当性はない。しかし、人は壊れた状況の中でも、自分の信じる言葉や価値を手放さずに生き延びることがある。それは苦難が良かったからではない。人が、自分を失わなかったからだ。
起きた出来事ではなく、それにどう耐え、どう振る舞ったかだけを、「苦しみに耐えた当事者」だけが後から振り返ることを許されている。
苦しみは一般化できるものではない。帰結ではなく過程が重要だ。どう苦しんだかに対して結果が良くなる(と信じよう)は処方箋として不適切である。
ありがとうございました。
No.658[返信]
12/31(Wed)11:19
神から示されたので書きます
お詫びと御礼に。あなたは今ふるいにかけられています。あなたは今この意見を断罪して退けることができます。嘗てのパリサイ人のように。『自分は毎日御言葉を熱心に配信している。皆の為に真剣に考えて。なのにこの人は何だ。不満ばかりで。嘗ての出エジプト記のあの滅びたイスラエルの民が如く無知で愚かではないか。』
貴方はどうしますか。モーセのようにたった1度でよかった岩を2度叩きつけますか?或いはパリサイ人の様に十字架の恵みがあるのに再び『律法。御心という名の誰かが書いたルール。ねばならない。』の下に、講壇の上から言葉を振り下ろし続けますか?
我々は嘗ての荒野の民のようにどうしようもなく永遠に不幸ですね。
本当に申し訳ございません。貴方に対して働いた罪をどうかお許し下さい。ただただもう疲れました。ありがとう。
No.657[返信]
12/28(Sun)10:39
ありがとう
いつもありがとうございます。そうですね。確かに罪です。だから私も貴方自身に指摘します。私はありのままにあなたに対して本当に辛い人があなたの言葉にどう思っているのか伝えたところです。あなた自身もそれが受け入れられないからこそ私を罪人と断じたのではありませんか?この人はプライドが高いばかりで何もわかっていないと。だから私達を否定したと。私達に意見するのは高慢であり罪だと。
そのとおりです御無礼をお許しください。
あなたの言動のそれにもプライドが見えることがよくわかりました。
否定されたくない。それは目に梁が入っている私も、目に木星が入っているあなたも同じですね。いつも申し訳ございません。感謝しています。
No.656[返信]
12/28(Sun)10:09
ページ:[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]