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めぐみの
パンくず

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投稿/PC用

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とうとう働く場所がなくなりました。
委ねよと言っていた方責任は取ってくださるのですか?それともいつものように無視を決め込み、神のみ心の一点張りですか?


No.662[返信]
3/14(Sat)14:02
とも

映画「沈黙サイレンス」を観ました。考えさせられる映画でした。私の信仰の持ち方これでいいのだろうか…。と。

No.544[返信]
1/24(Tue)23:41
せいみやかずお

たいへんだながんばつてください。

No.661
2/20(Fri)17:11
本日の聖句について

この文書は、ダビデの罪の結果を語りながら、罪を犯していない子どもの死を「神の最善」として正当化している点で問題があります。
イエスは「罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。裁きが繰り返し繰り返し悔い、泣き叫ぶ者に及ぶことを退けられました。
罪の裁きは罪人自身に向けられるべきであり、他者、まして子どもに負わせて信仰的に受け入れさせる理解は、イエスの示した憐れみの福音と一致しません。当該箇所はダビデへの裁きの結果を示したに過ぎずそれを「あなたはどうだろうか」と一般化する教えには問題があります。悪い出来事に悪いと言う権利が人間にはあります。あなたの称賛するダビデは詩篇で正直に不満を述べていますし、イエスですら十字架上で我が神どうして私をお見捨てになったのですか。と嘆きました。結果がどうであれ「受け入れない」と宣言する権利は認められています。悪しからず。


No.660[返信]
1/24(Sat)3:18


あなたの言う「平安」は、他人の苦しみを救いません。それだけを残しておきます

No.659[返信]
1/22(Thu)19:11
ありがとう

理不尽な出来事は、人の人生を壊す。それ自体に意味や正当性はない。しかし、人は壊れた状況の中でも、自分の信じる言葉や価値を手放さずに生き延びることがある。それは苦難が良かったからではない。人が、自分を失わなかったからだ。
起きた出来事ではなく、それにどう耐え、どう振る舞ったかだけを、「苦しみに耐えた当事者」だけが後から振り返ることを許されている。
苦しみは一般化できるものではない。帰結ではなく過程が重要だ。どう苦しんだかに対して結果が良くなる(と信じよう)は処方箋として不適切である。
ありがとうございました。


No.658[返信]
12/31(Wed)11:19
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